Side-T-1: 草食男子、RSVに遭遇

昨今、草食男子や草食系といった言葉は、男が声をかけて来ないのは男の方に原因があり自分に魅力が欠けているのではない、と糊塗するために意図的に誤用されている観がありますが、自分を保ちガツガツしていない、新しい時代の有り様に適した新世代の男性というのが本来の意味ですね。その本来の意味において、本稿の主人公の一人、ハワード・テミンは実に草食男子的ではないかと思います。

学部では発生学をやっていたテミンがウイルス研究に転向して大学院生になった1956年、カリフォルニア工科大学生物学部の責任者はデルブリュックで、当然ですが主な研究材料はファージでした。そんな中、デルブリュックの下でダルベッコが動物ウイルスを研究するための新しいサブグループを作り、ウイルスが遺伝子として何世代も宿主細胞内で過ごす溶原化に注目して研究を進めていました。そこに入ってきたのが、テミンでした。最初の仕事は、ファージのプラーク法を応用した動物ウイルスアッセイの開発で、ニワトリの白血病ウイルスを研究していたハリー・ルービンと一緒に取り組みました。

テミンのボスであるダルベッコによると、テミンは典型的な東部人だそうです[X]。背が高く、痩身。服装は小ざっぱりとして、カリフォルニア工科大学の他の学生よりスタイリッシュ。表情はスマイルが多い。言葉数は少なく他者の主張にコメントすることは少ないが、コメントする場合はとても誠実。しばらくするとカリフォルニア的な生活にも馴染んだものの、本来の性質は変えられないのか、帰省して実家で過ごしてくると、また典型的な東部人に戻っているのだとか。

1959年にカリフォルニア工科大学で博士号を取ってからもう1年研究し、1960年にウィスコンシン大学へ移りましたが、テミンの研究者人生において研究の場を変えたのはその一度きりで、終生ウィスコンシンで過ごしました。場所を移って新しい環境に出会うことや、高い地位を得ることには興味を示さなかったそうで、変化と上昇よりも、安定していて居心地の良い環境で過ごすことを好む性格だったそうです。

また、アメリカでは自分の発見を企業に売ったり、自分で事業化したりして、産業応用を図る研究者が少なくありませんが、テミンは分子生物学の発展とともに隆盛を極めるバイオテクノロジー産業とも無縁でした。

自分の好きなことに集中できるなら、それ以上の出世や高収入は求めない。現代日本の男性諸氏に通じるところがあると思いませんか?

さて、それはともかく、テミンの最初の研究に戻りましょう。

テミンの研究に先行していたのはラトガース大学のロバート・マネカーとヴィンセント・グルーペで、RSVを培養細胞に感染させた際に細胞の形態が変化することを報告していました。
(このご両人の姓の読み方が正直怪しいです。ここでは筆者の感覚でマネカー、グルーペとしましたが、それぞれスペルはManaker、Groupéで、本来どういう発音をするのかご存知の方がいらっしゃいましたらお知らせください。)

この事例に着想を得て、ウイルスの懸濁液を培養した細胞にかけてガン化させ、その結果として生じる形態や増殖の変化を見る手法の開発に取り組み、マネカー、グルーペ達とほぼ同時期に定量的なRSVのアッセイ開発に成功しました[T][W]。

こうしてガンウイルス研究に定量の考えが持ち込まれたのですが、ウイルス学と定量という点では1917にファージの発見者の一人でもあるデレーユが最初にバクテリアのウイルスについて記述したときに遡ります。デレーユはここでウイルスをプラークの数で定量できるとしています。しかし、定量的な研究が実際に行われるようになるのは1949にエンダースたちが動物の培養細胞を使ってポリオウイルスを増殖させることに成功してからで、ファージ研究の大御所であるデルブリュックも1940の論文でファージのプラークアッセイに言及しています。

また、テミンの直接のボスであるダルベッコも、デルブリュックとエンダースの知見を合わせて、1950年代前半にポリオや他の動物ウイルス用のアッセイを開発しています[Y]。

つまり、それまでの経緯から手荒く断じてしまえば、テミンとルービンのRSV定量法は、他のウイルスでやられていた定量研究をRNAガンウイルスでもできるようにしてみた、という所謂銅鉄実験の類だったわけです。まあ、どんなに優秀な研究者でも、いきなりゼロから新しい発見を導けるわけではなく、裾野の広い先行研究が揺り籠となって次代の発見を育てるんですね。

銅鉄実験臭漂うRSVの定量アッセイですが、これを使って、ファージの溶原化を参考にしながら、テミンは特にRSVによる細胞の形質転換を研究しました。RSVが感染しても細胞の形質は(当時のテミンが見ていた顕微鏡レベルでは)変化しないことが多いのですが、一旦変化すると、それは元に戻ることはなく受け継がれることを発見しました。ここからRSVの遺伝子による形質転換と変異に関する着想を得て、それは後のプロウイルス仮説の萌芽となるのでした[X]。